八千年時計・1 『混沌の色彩』   トーテン草原。 ビュア王国のポピュラーな地名の一つだ。 王都ハバルクを囲むように広がる緑の大地は、国内でも魔物の被害が少ない。 8000年後でもその名が失われる事なく続くのは 果たして自然界の強さか、世界が停滞している――“世界の意志”が不完全であるせい――からか。  そして今。 世界が停滞する発端の戦いがトーテン草原で繰り広げられていた。 「チッ、こいつが神に一番近付いてんじゃねェのか!?」  フェザックは剣で触手を受け流しながら言う。 彼がそう言うのも無理はなかった。 ――混沌。  幾万もの命を喰らったゲガントは、もはや人の形を保っていない。 彼の糧となった者達が幾重にも蠢いているかのような漆黒の巨体。 生物として捉える事すら憚られる全貌だった。 それでも生物として認識できるのは、中心に人間の顔らしきものがあるからだろう。 「こんな気持ち悪い神様はご免だね!  ゼスリア様がどれだけ目に優しい神様か実感したよ」  右手に剣、左手に光の槍――ブリリアンスピルム――を握ったサラフィエは 軽口を叩く余裕があるようだ。 だが、油断はできない。 アンリミテッド状態のゲガントがこの程度だとは思えないからだ。  カオス・カラーズ。 ゲガントが喰らった命の力を通常時より引き出すアンリミテッド。 能力が飛躍的に上昇するのは勿論―― 「アンリミテッド――ディバイド・クルーシフィクション。  アンリミテッド――エレクトリック・ジェイル」  ――取り込んだアビリティのアンリミテッドまで行使可能になる。 ゲガントから無数の黒い杭と巨大な雷球が放たれた。 拒絶のアビリティと麻痺のアビリティだ。 「我らを守る星となれ、エーリュシオン!」  イデアが顕現させた光輝く五芒陣の盾が黒い杭を防ぐ。 しかし、雷球は彼女から逸れ、シルヴィレーヌへ迫る。 「舐めるでないわ!」  閃光が雷球を貫く。 シルヴィレーヌの奥義・神閃威導破だ。 彼女の魔光を纏った矢は、勢いを弱める事なくゲガントに刺さる――。 「アンリミテッド――ホーリー・タレント」  瞬間、矢は不自然に力を失い、落ちた。 ゲガントを覆う光が原因だろう。 「どう思う? バーソル」 「陛下の話を聞くに、光の加護のアンリミテッドでしょうな。  あれの効果は、光……または闇以外の攻撃を無効化するといったところでしょうかのう」  無敵になれるはずがないと確信していた。 そうでなければ、こうも回りくどい方法でパランシェイルを滅ぼそうとしない。 「ものは試しです。ウィルピアス!」  フルートから放たれた光の衝撃がゲガントをよろめかせる。 次の瞬間には、敵を覆っていた光も消えていた。 「光が当たりですわね。さあ、手札がまた一つ減りましたわよ?」 「この程度で喜ぶとは、ロゼルネ=イミガルドは随分と恵まれない人生を送ってきたらしいな」  ロゼルネの鮮血の爪が触手を引き裂くが、 相手に応えた様子はない。むしろ、煽る余裕まである。  ――次の瞬間、ゲガントに巨大な土色の拳が叩きこまれる。 「今だよ、ケイガ!」 「ナイスだぜ、メケノ姉ちゃん!」  メケノのギガント・プレッシャーから飛んだケイガは、 疾風刃ユノンレイクを走らせた。 「小癪な。消えよ、エンジェルブラスター!」  ゲガントの触手から複数の光の砲弾が放たれるが、 滞空中のドグルゼムが炎の吐息で掻き消す。 「醜いぞ、ゲガント。  今のそちの姿は邪竜アンフィスバエナを彷彿させる」  世界を導くに相応しい姿ではないが、 全てを捨てる覚悟を決めた王には関係なかった。 「姿という上辺だけのものはどうでもいい。  必要なのは力! 世界を喰らう欲望!  人である事を捨て、仲間というお荷物を捨て、  初めて世を導く至高へ羽ばたけるのだよ!」  そんな至高が治める世界はどうなるのか。 間違いなく歪んだ調和をもたらすだろう。 そうでなくても、それはパランシェイル滅亡を土台にするものだ。 当然、パランシェイルの王が許すはずもない。 「君は! サマラン殿や“天の境”の人達も裏切るのか!?  みんな、君に希望を託しただろうに!」  ヨフェルの頭の中でサマランの言葉が蘇る。 『ゲガントは優しい子です。  民の窮屈に心を痛め、救おうと行動に移せる。  私が教えるまでもなく、それを為せたのです。  だからこそ、私はあの子に未来を感じています。  いつか、この現状を変えてくれると……』  しかし、ゲガントには届かない。 「これが裏切りに見えるならば、汝の視野が狭いのだ!  朕が与える希望はこれだ! この道なのだ!  世界を救うためには、死した者達はお荷物でしかない!  生ける同胞は弱点となる!  故に朕にとって、全てがお荷物なのだよ!」  始まりは両者とも同じだった。 それにも関わらず、仲間の価値が真逆になってしまった。 これが己を追い詰め過ぎた者の末路なのか。 「我が、君を止める!  アンリミテッド――クロノス・パイオニア!」  異なる次元からゲガントという座標への攻撃を可能にする力。 さらにノア・エイネから魔力が溢れ、ヨフェルを包む。 再現するは、魔神メギドを屈服させた奥義。 「フォルス・トワイライト――ッ!」  振り下ろされた等属性の輝きは、堅さが存在しない次元を通過し、 ゲガントへ叩きこまれる。  しかし、敵はその次元にさえ割り込む力を持っていた。 「アンリミテッド――ノットワールド」  瞬間、等属性の奔流が消える。 拒絶のアビリティのアンリミテッドで自身を世界から切り離したのだ。 アビリティの元の所有者はアンリミテッドまで到達できなかったが、 ゲガントは本来の使い手を上回った。 イデアは信じられない光景を前に唖然とする。 「ヨフェル様の最大攻撃が……!?」 「汝らの実力は本物だ。  だからこそ、朕は対策をしているのだよ」  ジェドが元いた世界のゲガントとは違い、 彼はヨフェル達を認めていた。 納得はしていないが、確かに認めていたのだ。 ヨフェル達が思うように力を発揮できない状況を用意する。 それがゲガントの作戦だ。 守りの要であるイデアもエーリュシオンの連発で限界が近い。 それこそが敵の狙いだった。  漆黒の巨体にある人間の顔に、魔力が集結していく。 それはドグルゼムが放つブレスに似ていた。 「王の声明を聴け。  モナーク・ハウル!」  ゲガントの口から放たれた衝撃波は、周囲のあらゆるものを吹き飛ばす。 地面が抉れ、木々も薙ぎ倒されていく。 竜族のブレスが元になった技だ。竜族の上をいく化け物になった彼のブレスは、 イデアの盾ですら完全には防げなかった。 「ぐっ……何という一撃……!」 緑に恵まれていた草原は、ヨフェル達の状態も含めて 悲惨な光景になっていた。 「おのれ……っ!?」  高台にいたシルヴィレーヌの足下が崩れ始める。 彼女も他と同様、先ほどの攻撃を受けたばかりで動けない。 崩れ、体が落ちる先は、命が蠢く漆黒の巨体。 「ひ……姫様……!」  サラフィエの焦り声が響く。 誰もが見ている事しかできなかった。  唯一ゲガントは好機と判断し、歪んだ笑みを浮かべる。  自身の末路を想像し、思わず目を閉じるシルヴィレーヌ。 思い浮かべるのは、最愛の人。 彼は今頃ゼスリアに元の世界へ帰されているだろう。 ――良かった。 彼には帰るべき場所があり、それは自分達の所ではない。 本来、果たされるはずがない出会いだったのだ。 それでも彼女は呟く。 彼を想う事だけは許されていいだろうと。 「ジェド……」  ――ヨフェルの背後から高速で駆け抜ける者がいた。 千年時計をヨフェルから取り、さらに加速していく。 「ど、どうして……?」  サラフィエが戸惑いの声を上げる。  皆、困惑していた。彼が来るはずがない。 彼は元の幸せな生活に戻ったはずだ。  その彼は地面を蹴り、 落ちるシルヴィレーヌを抱き止めながら着地する。 「なぜ……そなたがここにいるのじゃ……?  そなたには帰るべき場所があるのじゃぞ……!」  彼が今ここにいる事。 それはもう二度と元の世界へは帰還できない事実を表していた。  不思議と彼の顔に後悔はない。 「ようやく分かったんだ。  お前達こそが、俺の帰るべき場所なんだって。  俺の幸せはここにある」  その言葉が限界だった。 シルヴィレーヌは彼の首の後ろに手を回す。 今はただひたすら彼が愛おしい。  彼の方は珍しく赤面せず、 穏やかな瞳で彼女を抱きしめ返していた。  シルヴィレーヌをゆっくりと下ろした彼は、 ヨフェル達を見て微笑む。  皆が気付いた。彼は自分達を選んだのだと。  彼は漆黒の巨体に顔を向ける。 変わり果てた親友へ送る感情は、憎しみでも侮蔑でもなかった。 「よう、ゲガント。ホームパーティーくらい呼んでくれよ」  対するゲガントは複雑な感情を向ける。 邪魔な感情を捨てたはずの彼がだ。 「なぜ汝がここに来るのだ!? ジェドォ――ッ!!」  この世界でも、彼の在り方は変わらなかった。 さあ、戦え。“皆”を救うために。